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  • さようなら、Twitter|樋口恭介|note

    僕の好きだったTwitterはもうない。 趣味の合う人や話の合う人同士でタムロし、友達と話しているうちに友達の友達が話に加わり、友達が増えていく空間はもうない。そう言うとまた、「だから何だ? それがどうした?」と言うやつが現れるだろう。「嫌なのか? だったらお前がここから出ていけばいいだけだ」と。たしかにそのとおりだ。この記事はなんでもない、ただの愚痴だ。そして焦る必要はない、僕はもう出ていく。これはそういう記事だ。 かつて、Twitterは楽しい会話をする場所だった。小説の話や批評の話、映画や音楽の話をしていると、「いいね、じゃあこれは知ってる?」と、どんどんいい感じに話が膨らんでいく場所だった。思い返すと当時は一日中ツイッターで話していて、起きてから眠るまでのあいだで100ツイートとか普通にしていた。2000年代の終わり頃、ちょうど10年くらい前のことだ。 でも今はそうではない。今は、

      さようなら、Twitter|樋口恭介|note
    • 小さなウソを容認すると起こること

      「ニューオータニの宴会場で800人の立食パーティーをやって、一人アタマ5000円で済むのか」 という話題が、この1週間、様々な場所で行ったり来たりしている。 バカな話だと思う。 私の感覚では、無理に決まっている。これが無理でないのだとすると、この世界に「価格」というスタンダードがあること自体がおとぎ話になってしまう。 どんなに優秀な幹事を立てたところで、きょうび都内の一流ホテルで料理と飲み物を出すパーティーが、一人アタマ1万円以下の会費でペイできる道理はない。聞けば、当日は有名寿司店の寿司がふるまわれたというし、名前の知れたシャンソン歌手が歌う場面もあったのだそうだ。だとすれば、なおのこと5000円という会費はあり得ない。完全に不可能だとまでは断言しないが、近所のコンビニで売っている120円のシュークリームひとつで丸1週間食いつなぐことが困難であるのと同じほどにはバカげた話だと思う。 仮に

        小さなウソを容認すると起こること
      • 母子手帳は「親子手帳」じゃだめ? 父親たちの問題提起(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

        俺って、育児に関係ないと思われているのかな……。 3歳の長男を育てるさいたま市議の三神尊志(たかし)さん(40)は、役所で妻と妊娠届を出して母子手帳をもらった時、「母子」の言葉が気になった。産院では息子は「三神ママの赤ちゃん」と呼ばれ、産前産後の手続きのための書類には、母と子の名前の記入欄しかないものもあった。 【写真】妊娠で里帰りの妻泣かせ…「飲み会」優先した記者のLINEのやりとり 父親として一緒に子育てに関わりたいと思っていたが、「母だけが妊娠・出産、子育ての主体であるかのような社会の認識」を突きつけられたように感じた。母子手帳に代わる名称がないか調べると、「親子手帳」と呼んでいるところがあることがわかった。 2001年に岡山市が全国に先駆けて採用し、愛知県小牧市、那覇市、福島県いわき市などが採り入れている。「母子(親子)手帳」「親子(母子)手帳」など表記は様々だ。 ■市議会で問題提

          母子手帳は「親子手帳」じゃだめ? 父親たちの問題提起(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
        • 【同窓生シリーズ】坂本龍一

          坂本龍一(さかもとりゅういち):22回生 1952年東京生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲家卒、同大学院修士課程修了。 78年「千のナイフ」でソロデビュー。同年、 細野晴臣、高橋幸宏とイエロー・マジック・オーケストラを結成、日本発のテクノポップサウンドで世界を席巻。84年、映画「戦場のメリークリスマス」で英国アカデミー賞作曲賞を、88年には「ラストエンペラー」で米国アカデミー賞作曲賞を日本人として初めて受賞。音楽活動の傍ら平和問題・環境問題に関わる社会への提言も多く、地雷撤去運動、脱原発運動を始め、森林保全団体「モア・トゥリーズ」、東日本大震災で被災した学校を支援する「こども音楽再生基金」の設立に携わるなど、数多くの運動を率いている。 ―新宿高校と聞いて最初に思い出すのは? 昔の古い校舎ですね、もう跡形もないんでしょうねえ。何とかの鐘ってのがあって、鐘の塔が残っていましたね。そう、戦艦三笠の

          • 勉強というのは、結局は独学しかない - そういちコラム

            大人になってからの勉強は、結局のところ全部独学です。大人になったら、手とり足とり教えてくれる人は、もういません。書物や専門家といった情報のありかへ、自分で問いかけ働きかけていくしか、方法はありません。 勉強に必要な条件は、自分自身の意欲を別にすれば、ふたつだけです。必要な情報にアクセスできること、情報や意見を交換する仲間がいることです。 学校は、「情報」がアクセスしやすいように集まっている場所です。質問すれば先生は答えてくれるし、勉強する仲間が集まっていて、話ができます。 学校では「情報」も「仲間」も、たいした努力なしに手に入ります。そして設備や道具もそろっている。 だから学校は、行く値打ちがあるのです。行けるのなら、学校へは行きましょう。 そして会社などの職業の世界にも、学校のように「情報と先生・仲間がそろっている」ことがあります。 でも、情報や仲間が手に入るのは、学校や職場だけではあり

              勉強というのは、結局は独学しかない - そういちコラム
            • 「時代」を共有できない時代に、文化は成り立つか?

              (前回はこちら) 前半では、「エレキの若大将」を通して、夢のような理想に現実味を感じられた、高度経済成長期についてお話をうかがいました。 押井:「エレキの若大将」で思い出すのはそういう時代のことなんだよ。昔の映画を見るとその時代を思い出す。そういう意味では便利な装置でもあるんだよね。でもそれを同時代で見てない人間にとってはナニモノでもなかったりするわけ。そこがいわゆる「古典」とは違うんだよ。時期限定というか世代限定。それが映画の宿命と言えば宿命なんだけどさ。 連載の最初におっしゃっていた「映画は時代の記憶装置」ですね。 押井:そういう「時代を思い出す映画」はみんな思い当たる節があるはずだよ。僕にとっては「エレキの若大将」だったり怪獣映画だったりするものが、もうちょっと下の人間にとっては「ガンダム」だったり「エヴァ」だったりするわけでしょ。いずれも普遍的なものではあり得ない。でももっと生々し

                「時代」を共有できない時代に、文化は成り立つか?
              • おばあちゃんの家を整理してたら、山本五十六から祖父宛の感謝状が出てきた→Twitterの力で文字を解読

                よしよし @Raboyosiyosi @lonelyKerryZEN それが内容が読めないので、どうしたらいいものかと… 祖父の何かしらの行動で頂いた文章なので、知りたいと思っているのですが。 誰に聞けばいいのでしょう?? ちなみに母は捨てようとしていたので、私が今日厳重に持ち帰りました! 2020-10-07 22:18:42 補充兵太郎 @batahojyu @Raboyosiyosi @DaitenshiMeme 乗組みされていたと思われる駆逐艦「敷波」ほか所属艦船部隊に対しての感状の写し(現物は賞状スタイル)と思われます。 おそらくお名前の方が文面にある蘭印作戦の該当する戦功に寄与されていたことをこの書面(ガリ版)で通知あるいは証明用(成績や手当に繋がる)に交付されたものと思います。 2020-10-08 02:16:46

                  おばあちゃんの家を整理してたら、山本五十六から祖父宛の感謝状が出てきた→Twitterの力で文字を解読
                • 【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第43回 追悼:偉大なる先輩、池田憲章さん

                  池田憲章さんが亡くなった。その訃報は12月10日、日本SF作家クラブからアナウンスされた。「かねてから入院加療中であった池田憲章会員が、去る10月17日、お亡くなりになりました。享年67歳。心よりご冥福をお祈りいたします」(メールからの引用)。訃報のタイミングがズレているのはご遺族が49日を待って連絡されたためである。 氷川は同人「怪獸倶楽部」の後輩でもあるし、単行本「アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ 池田憲章/編」(1982年11月1日発行/徳間書店)と共著もある。「宇宙戦艦ヤマト」関連のパートは氷川が中谷達也名義で執筆したが、当時まだ珍しかった評論本として、いまでも時々話題に出ることがあって、大事な財産のひとつである。 訃報が届いたとき、あらためてその若さと、失われてしまった知識の宝庫に愕然とした。いったん話し出すと止まらない機関銃トーク、人間データベースのごときエネルギッシュな語

                    【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第43回 追悼:偉大なる先輩、池田憲章さん
                  • はい!美術タイトルです vol.2 | フジテレビジュツのヒミツ - フジテレビ

                    岩崎光明 プロフィール 1982年よりフジテレビタイトルデザイン室でタイトルデザイン、イラストなどの制作を担当。 代表作は「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」 「ダウンタウンのごっつええ感じ」「世にも奇妙な物語」など。 この連載では主にアナログ時代のタイトルデザインについてご紹介します。 題名の“美術タイトル”(略称は美タイ)は河田町フジテレビ時代の名称。美術タイトルは報道以外の全番組を担当していました。 報道番組の写植などを制作する“報道タイトル”は報道部にあり、役割は全く違っていました。 私がフジテレビの“美術タイトル”に来た 1982 年は漫才ブーム真っ只中。長寿番組となる『笑っていいとも!』が誕生した年でもあります。漫才ブームが去った後も『夕やけニャンニャン』『オールナイトフジ』など、「バラエティーのフジテレビ」と言われるほど話題の番組が

                      はい!美術タイトルです vol.2 | フジテレビジュツのヒミツ - フジテレビ
                    • 東京・四谷 いーぐる  ジャズ喫茶の物語 Part2

                      ロック喫茶として生まれた空間 東京・四谷のジャズ喫茶「いーぐる」が2019年12月14日で創業52周年を迎えた。これは東京で現在営業をしているジャズ喫茶の中では、1956年開業の日暮里「シャルマン」、1960年開業の明大前「マイルス」と浅草「フラミンゴ」、そして「いーぐる」と同じ1967年の11月に開業した新宿「DUG」に続いて5番目に古い。 筆者がこの店を初めて訪ねたのは1979年のことだった。店の入口も内装も今とほとんど変わらないが、当時の第一印象は、照明も雰囲気もジャズ喫茶にしては明るいなというものだった。 この頃筆者はジャズ関係の公演告知のチラシやポスターを置いてもらうために都内のジャズ喫茶や喫茶店を回るアルバイトをしていたが、数十軒訪ねた店の中でも「いーぐる」の「明るさ」は印象に残った。その後、数カ月に一度ぐらいの頻度で訪ねたが、その第一印象が変わることはなかった。 同じ時期に東

                      • いしいひさいちは百合を描かせても一流だった—『ROCA 吉川ロカストーリーライブ』 | マンバ通信

                        『ROCA 吉川ロカストーリーライブ』 私事ですが、先日岡山県玉野市に行きました。金がないから青春18きっぷで(もう歳なんだから18きっぷ+西成宿泊とかで旅をするな)。行ったのは、渋川マリン水族館(玉野海洋博物館)という入館料500円の小さな水族館が目的です。当方、中高と部活を生物部で過ごしたような人間なので水族館・動物園好きでして、旅に出る機会あれば積極的に寄ってるんです。この原稿書いてる時点のWikipedia「日本の水族館」に載ってる施設のうち78館(現存73、今はないの5)+載ってない2館(今年に開館したスマートアクアリウム静岡と、むかし福岡に存在しわずか3年で潰れたネイブルランド水族館)の80館行っとります。 で、この玉野市というの、ある漫画家と関わりがあります。 筆者撮影。ちなみのこの「ののちゃんち」は22年9月現在、移転を予定して一時閉業中です ご覧の通り、いしいひさいちの出

                          いしいひさいちは百合を描かせても一流だった—『ROCA 吉川ロカストーリーライブ』 | マンバ通信
                        • 労組が生んだ大傑作『太陽の王子ホルスの大冒険』|Tatsuro Kashihara

                          まずは『太陽の王子ホルスの大冒険」が作られた時代背景から考えてみたい。制作が始まったのは1965年、公開されたのは1968年、大作とはいえ、日本のアニメで3年もかけるのは異例のことである。1965年といえば、世界史ではアメリカがベトナム戦争に直接介入し始めた年として、世界史に記憶されている。1968年にはフランスで5月革命が起き、チェコスロバキアではプラハの春と呼ばれる変革運動があり、アメリカでは黒人解放運動のリーダーだったマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されている。一方、ベトナム戦争は激化していた。 そんな時代の作品である。『ホルス」に先立つこと3年前の1962年、大塚康生は東映動画労働組合の2代目書記長に選ばれた。この時の副委員長が高畑勲。大勢の人間が幾つかのグループに分かれて制作する長編アニメの現場において、労働組合の結成は必然的なものだったとも言える。 大塚は「作画汗まみれ」の

                            労組が生んだ大傑作『太陽の王子ホルスの大冒険』|Tatsuro Kashihara
                          • ゲバ字を習う話 - dkrqr’s blog

                            【2021/12/25】ちょっと読みやすく書き直しました →ゲバ字を習う話 -remastered- - dkrqr’s blog この記事は,熊野寮祭2020 の企画の1つである,Kumano dorm. Advent Calendar 2020 - Adventarの1日目の記事です。 今年は25人が早めに集まったのでその2を作りました。 #kmnac2020で感想を書いてくださると幸いです。 その2はまだまだ空いているので寮生,OPは是非書いてください。 明日は寺さんがGoToTravel免許合宿の話を書くらしい。 最後に寮祭企画宣伝があるのでそこだけでも読んでいってほしい 君は「ゲバ字」を知っているか? ゲバ字って何? 全部同じじゃないですか⁉ Joセ讠N讠S?? 実践へ 寮祭企画宣伝 BUMP OF CHICKEN LIVE 2020 aurora dorm 総書記 君は「ゲバ字

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                            • 「小林多喜二の拷問死は嘘」ーそこまで権力無謬性を妄信するのか。ならば、その時代背景の一端を伝えよう。|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)

                              2024年からみて91年前の1933(昭和8)年2月20日正午ごろ、プロレタリア作家の小林多喜二が築地署の特高課員に逮捕されます。そしてその日、午後7時45分に死亡し、その夜のうちに遺体は自宅に戻されました。「内出血で紫褐色に膨れ上がった両方の股(もも)、これも靴で蹴り上げられた痣のある睾丸、焼き火箸を突き刺したらしい二の腕とこめかみの赤茶けた凹み。ー警察は心臓麻痺だといいはり、あらゆる手を使って司法解剖を妨害した」(講談社・昭和2万日の記録、千田是也「もうひとつの新劇史ー千田是也自伝」より)とあります。 逮捕から半日で突然心臓麻痺になったことを警察側で検視し、遺族はそれを受け取ったのだから拷問死ではないーという発想の幼稚さにも、執拗にそうした発言を繰り返す権力に対する絶対の信頼性と何かへの憎悪にも似た発言に驚くほかなく、つぶやいたのが、表題写真のX(旧ツイッター)です。 「お前が小林多喜

                                「小林多喜二の拷問死は嘘」ーそこまで権力無謬性を妄信するのか。ならば、その時代背景の一端を伝えよう。|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
                              • 【連載】長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす(4)|「いじめ問題」への囚われのなかで|片岡大右|コロナの時代の想像力|note

                                新型コロナウイルス感染症やコロナワクチンについては、必ず1次情報として厚生労働省や首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。 2021年7月、パンデミック下で、ミュージシャンの小山田圭吾氏をめぐって起きた「インフォデミック」について、片岡大右さんが精緻に分析する全5回の連載。そもそも、わたしたちの社会は、「いじめ」という言葉をどのように用いているのでしょう。昨夏の騒動と以降の認識に影響を及ぼしている「先入観」を問い、複雑で多様な現実に向き合うことを呼びかける、(4)を公開します。(編集部) ※文中敬称略 1  「いじめ紀行」を素直に読むことの難しさ本稿(1)で取り上げた、小山田圭吾ソロデビュー前の『月刊カドカワ』(角川書店)1991年9月号の記事からは、知的障害のあ

                                  【連載】長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす(4)|「いじめ問題」への囚われのなかで|片岡大右|コロナの時代の想像力|note
                                • oldboy-elegy (56)嘘じゃない、信じてくれ、俺は「人魂・ひとだま」を見たんだよ!? - oldboy-elegy のブログ

                                  その日、古い民家が続く広くはない 夜道を実家に向って急いでいた。 左傾のイラスト中のクネクネした影はoldboy君である。 その時、彼の目に異様な強い灯りが 飛び込んで来た。 高い切妻屋根の軒下で、 その火球は見る見る大きくなっていく。 oldboy-elegy君、瞬間、火事かと思い大声で叫びそうになっていた。 だがその火球は大きくなりながら燐家の同じ切り妻屋根の軒下に移り、吸い 込まれるようにその家の内に消えた。 一瞬の出来事であった。 そして彼の心中には「!!??」の残影が焼き付いたまま、今になる。 あとには、火事場の臭気も気配なく、ただ暗闇が辺りを包んでいるのみであった。 文章にすれば、たったこれだけの事である。 ★1  彼、基本こんな不条理な出来事とは全く無縁の人であった。 oldboy-elegy君、当時大学2回か3回生のころの話である。 ざっと50年も昔のことで生粋の左翼系学生

                                    oldboy-elegy (56)嘘じゃない、信じてくれ、俺は「人魂・ひとだま」を見たんだよ!? - oldboy-elegy のブログ
                                  • 浅生鴨×宇野常寛 ツイートは3日で自動消去を。インスタには完食後の器を。 | 遅いインターネット

                                    浅生鴨さんといえば、NHK_PRのTwitterの初代「中の人」を務めていた方で、ある意味では震災前後の時期のTwitterの象徴ともいえる人です。あれからSNSをめぐる風景は大きく変わりましたが、プラットフォームごとの「ここは、こんな場所」という空気にのまれず、ウェブメディアを「自分のために」使い倒すには? その極意をうかがいました。 本記事をはじめ、「遅いインターネット」では、現在の速すぎるネット社会の問題とその向き合い方について、様々な観点から特集しています。 震災前後で変化したSNSのあり方 ──「中の人」から遠く離れて 宇野 今年の2月から「遅いインターネット計画」というものをはじめたんですね。これは、かいつまんで言うとインターネットとの付き合いかた、情報との付き合いかたを見直そうという運動です。 具体的にはSNSのタイムラインの「潮目」から離れたあたらしいウェブマガジンをスロー

                                      浅生鴨×宇野常寛 ツイートは3日で自動消去を。インスタには完食後の器を。 | 遅いインターネット
                                    • 青春浪漫 告別演奏會顛末記 9 - 風のかたみの日記

                                      4.「許せない!」クマはジェラシーの炎に身を焦がした (1) フェアウェル・コンサートへの出演依頼に対するナッパの回答は、直接伝えられる事はなく、アガタが何処からかクスねてきた郵便受を、教室の壁に取り付け「DANDY」 投書箱と書いた中に入っていた。 最初にそれを取り出したのは、その時点では未だ正式な編集部員ではなかったアグリーだったが、その時彼は返事が入った封筒とは別に、折りたたんだ便箋を見つけた。そしてそれは前週から 「DANDY」が始めた『夢判断』に寄せられた「夢」であった。 『夢判断』とは言うまでもなくG.フロイトの著書だが、「DANDY」では自分が見た「夢」をクラスメイトから募集し、独断と偏見で勝手な分析を加え紙面に発表する、という触れ込みの企画であった、 しかし尤もその頃、編集部でフロイトを読破した者などおらず、辛うじてクマが、Eフロムの『夢の精神分析ー忘れられた言語ー』に目を

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                                      • oldboy-elegy (33)テネシーワルツとストリップ劇場・当時の, ある法文系学生の生態と??、 IN KYOTO - oldboy-elegy のブログ

                                        日記?雑文?よくわからない。ともかく自分の人生の時空を行ったり来たり、 ちょっ可笑しく,すこし哀しいが何故か懐かしい物語でもある。オールドボーイ 諸君に幸あれ。 今日のこの記事、およそ半世紀ほど昔、学生であったoldboy-elegy君たちの 日ごろのひとコマを切り取り活写したものである。 この記事、実は、ブログ開設初日に投稿したものをリライトしたものである。 日付は2019・04・10 となっている。 悲しいかな、初投稿から今日まで、読まれた形跡は殆んどない。 今なら、些少なりとも見ていただけるかも、との思いで再掲した次第である。 当時(ほぼ半世紀昔)の法文系アホ学生の日常をご覧あれ。 by oldboy-elegy ★ 「わたしは女友達に私の彼を紹介したんだ。 そしたら、その女に私の彼を 横取りされてしまったのよ」・意訳 テネシーワルツ by Patti Page (パティ・ペイジ)

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                                        • 青春浪漫 告別演奏會顛末記 5 - 風のかたみの日記

                                          2.「僕達は週刊DANDYを発行します」編集部一同が宣言した (2) 一方コンサートの方は「2-4 フェアウェル・コンサート」と名をうって機関紙『DANDAY』の紙面を借りPRが始められた。尤もどちらも同じ仲間内での企なので、すべからく自画自賛の世界であった。 例えばクマが書いたキャッチコピー、「ウッドストック、バングラデシュに並ぶ愛と平和と音楽の祭典」とは、幾ら冗談とはいえ、あまりにも大袈裟で馬鹿げたフレーズであり、「あ~ら奥さん 『フェアウェル・コンサート 』ってご存知?」「そりゃ知ってるわよ、お隣でもその話でモチキリよ」「なんたって『フェアウェル・コンサート』 だからして」はアグリー持ち前のハイプな感覚の極致と言えた。 また教室の壁にある掲示板には、クマやアグリーが自宅での学習時間を惜しみなく割いて描いたポスターが貼られ、それによれば祭典の日時は、1974年3月25日、終業式終了後。

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                                          • 『私の昭和・青春漫画抄』|kaze

                                            絵を描くことが好きでした。漫画を描いたりもしました。 昭和に生きて・・・平成を過ごし、令和を迎えて年齢もそれなりに・・・ なので、サムネの画像は私の若い頃のものです。 記憶のタイムスリップ・・・懐古ではなく、「当時の今」を感じる 時間旅行をしてみました。よろしくお願いします☆ 目次(タイトルの羅列) ○始める前に・・・ ○プロフィール ○きっかけ 『私の昭和・青春漫画抄』 ○吾妻日出夫 ○高校時代 ○新居 ○中学時代 ○漫画研究会 ○『ファンタジッククラブ』 ○ファンタジッククラブ新年会 ○漫画家先生を訪ねる ○鷹羽あこ ○北帰行 ○もし・・○吾妻日出夫 ○小林の話 ○浦幌高校 ○吾妻卒倒! ○上京に向けて・1 ○上京に向けて・2 ○高校卒業、そして東京へ ○(番外編)とある少年の物語 ○少年の記憶 ○ある少年の番外エピソード・1 ○ある少年の番外エピソード・2 ○佐藤プロダクション ○真

                                              『私の昭和・青春漫画抄』|kaze
                                            • 本をみんなで楽しんだ明治大正の魚山村:『「本読み」の民俗誌』 - 書物蔵

                                              近視眼的に考えると、本は個人で自由に勝手に黙って読むもの!と言ってはばからないむきもある。しかし、歴史的にはどうだったか。ラジオやテレビから類推すれば、本でさえそうでなかったことが想定され、それを実証するのが本書、ということになる。 民俗学からの一撃! 次の本をほぼ読了。第三部は飛ばし読み。 川島秀一『「本読み」の民俗誌―交叉する文字と語り』勉誠出版2020/6 「本読み」の民俗誌―交叉する文字と語り 作者:川島秀一発売日: 2020/06/12メディア: 単行本 著者川島, 秀一, 1952-は震災で自らも被災した気仙沼の民俗学者。彼の問題意識は巻末の「まとめに」にあるように、どちらかというと読むより書くにあり、それを本書では「読む」ほうでまとめたもの。そういう文脈では、当方の本書の読み方は、読むほう、つまり読書史として読んでしまうので、著者の関心のコアからずれてしまうだろうが、本書の読

                                                本をみんなで楽しんだ明治大正の魚山村:『「本読み」の民俗誌』 - 書物蔵
                                              • 焼却炉の魔術師にはなりたくない - in between days

                                                むかしの学校にはだいたい焼却炉があって、掃除時間になると各教室からゴミ箱が運ばれてきて、学校の敷地内で燃やされていた。職員室からは印刷しそこなったガリ版のプリントとか大量にあって、リヤカーで運ばれてきてたようなきがする。高校のころ、自分が友人に借りて授業中に盗み見てて教師に取り上げられた大友克洋『童夢』が、その後そのリヤカーで運搬されているのをたまたま焼却炉か職員室かの掃除当番だった別の友人が見つけて確保してくれたことがあった。各所にご迷惑をおかけしております。 そのうちゴミを勝手に燃やしてはいけないということになり、いまだったら温暖化とかそういう切り口になるだろうけど、当時はダイオキシンが問題になったのではなかっただろうか。いまの学校ではプリントを燃やしたりはしないようだが、漫才師の博多大吉さんが中学のころにはまだあって、かなり昔のバラエティ番組で掃除時間の自分は「焼却炉の魔術師」だった

                                                  焼却炉の魔術師にはなりたくない - in between days
                                                • 教育についての「いつもと同じ話」 - 内田樹の研究室

                                                  ある媒体に教育論を寄稿した。あまり人目に触れることのないマイナーな媒体なので、ブログに採録しておく。 そちらの編集部から教育について寄稿をお願いされたので、「いつも同じ話をしているので、改めて書き下ろすようなことがありません」とお断りしたら、「ありものの使い回しでもいいです」ということだったので引き受けた。でも、さすがに「ありものの使い回し」で原稿料頂くのは良心が咎めて、結局全部書き下ろしてしまった・・・でも、書いている人間は同一人物なので、中身は「いつもと同じ話」である。 教育についての個人的意見を記す。 もう20年近くほとんど同じことを繰り返し訴えている。20年近くほとんど同じことを繰り返し訴えなければならないのは、私の主張が同時代日本人の同意を得ることができないからである。だから、以下に私が書くのは「日本社会のマジョリティによって受け容れられていない主張」である。 私が言い続けてきた

                                                  • oldboy-elegy (25) ①「ガリ版刷り」って何?②英語?とローマ字?に関わるチョッピリ哀しい話。 - oldboy-elegy のブログ

                                                    oldboy-elegyくん、高校3年,卒業式前の2月中旬以後、大学卒業まで大阪は 河内の小さな塾の講師をやっていた。 母(故人)がおっしゃるには、大学の「初期費用を含めた入学金と、毎年の 授業料」は私が責任をもって支払う、その上「この家の部屋代、まかない代を よこせとは言わぬ、ただし、オカズに文句をいうな、それ以外の経費は知らぬ、 こんな好条件どこにある」とのご宣託。 この言にoldboy-elegyくん、「ハアッハ~、ご無理ごもっとも、ありがたく」 と「頭(こうべ)を垂(た)れた」しだいである。 こうして、河内(かわち)から京都までの自宅通学が始まった。 実を言うと、教科書代を含む書籍代もご支援いただいていた。 ときおり、書籍代に行かず、遊興費に。 結構な金額であったはず。 本来なら、もうちと頑張り、学費の安い公立の大学を目指すのが本筋だが、 oldboy-elegy君、そこまでの根性

                                                      oldboy-elegy (25) ①「ガリ版刷り」って何?②英語?とローマ字?に関わるチョッピリ哀しい話。 - oldboy-elegy のブログ
                                                    • 彼はその夏に「密航」したのか。埋もれた小説が伝える手がかり、残された日記が示したヒント。#密航のち洗濯|ニッポン複雑紀行

                                                      ある人物が80年近くも前に「密航」していたとして、その事実をどうやったら知り得るだろうか。そのことを家族に語っていたら。あるいは、どこかに書き残していたら。 けれど、それが「密航」と名指される移動であるがゆえに、その経験は語りづらく、書きづらいものとなる。だからこそ、少ない例外を除いて、広くは語られず、書かれてもこなかった。 誰もが参照できる資料はと言えば、例えば1946年に日本の警察が2万人弱の「密入国者」を検挙した、そんな公的な記録。そこに「個」の姿はない。万の単位の「群」がいるばかりで。 写真:田川基成(以下同) 日本語で書かれ、1960年から61年にかけて発表された小説「密航者の群」を通読したことがある人は、これまで一体何人いるのだろう。三桁はいるだろうか。それとも二桁にとどまるだろうか。 私自身は、無名の作家・尹紫遠(ユン ジャウォン、1911〜64年)によるこの忘れ去られた作品

                                                        彼はその夏に「密航」したのか。埋もれた小説が伝える手がかり、残された日記が示したヒント。#密航のち洗濯|ニッポン複雑紀行
                                                      • 手書き文字認識に適さない画数の多い漢字ども【追記有】

                                                        スマホでの文字入力に手書き認識を使っているけど、画数の多い漢字は本当クソ(KUSO)。中国式で簡略化してほしい。 🌋 例えば、「書」とか。門構えもクソ。これを書いているうちに「門」という文字がヒットして終わり。問とか間とか書けない。草書体みたいに簡略して書くと「同」がヒットする。問といえば問題の題の方もダメだ。頻繁につかう単語なのに画数が多すぎる。それが問題だ!!!!!ほかにも「響」とか・・ 🌋 手書き文字認識に適した漢字だけ残すとか・・簡略化するとか・・なんとかしてよ!!画数が多くて嬉しいのって書道家くらいちゃうんか?あとハンコヤ? 🌋 候補に旧字体とか異体字まで出すの止めてほしい。日本は敗戦のショックで「なるべく使わんでもよい文字はやめましょう」って当用漢字を決めたのに、なんだかダラダラと増やしやがって。しかも異体字まで簡単に入力できるようになって、「私の斉は斉じゃないです」とか

                                                          手書き文字認識に適さない画数の多い漢字ども【追記有】
                                                        • oldboy-elegy(62) 名物教授?と期末試験・その採点方法の「都市伝説」とは・ ウソかマコトか真実は闇の中 - oldboy-elegy のブログ

                                                          ここだけで通用する「虎の巻」の意味 by  oldboy-elegy 期末の試験が近づくころ、各教科の講義 を安直にまとめた、ガリ版刷りの解説書 が出回る。 大学近くの民家の軒先を借り、戸板を並べ 裸電球の下で売っていた。 もちろん書き手は学生でアルバイトである。 誰かが責任を負うものでもない。 普段の不勉強の付けがやってくる、これも学期末の懐かしい風物詩 でもある。 ★1   はじめに 今日の記事、本来は幾日か前に投稿のダンドリになっていたが、少し 遅らせブログUPすることに、そして今日と、あいなった次第である。 oldboy-elegy君、基本ズッコケ記事を標榜「ま~ぁ、人生お気楽に」が 主旨である、今日の記事もその路線のものである。 ずっとズット昔の法文系学生の期末試験の有り様と香りを、面白、 可笑しく皮肉った一文である。 だが7月8日以降、すぐの投稿は、僕自身ハバカレル心理状態にあ

                                                            oldboy-elegy(62) 名物教授?と期末試験・その採点方法の「都市伝説」とは・ ウソかマコトか真実は闇の中 - oldboy-elegy のブログ
                                                          • 「自分はゴジラから離れられない運命」 ファンを代表してゴジラに弔辞を読んだ男が語る、“好きでい続けること”の幸せ

                                                            日本が世界に誇る怪獣王「ゴジラ」を愛し続け、ファンを代表して弔辞を読んだこともあるファンがいます。ゴジラファンとしての道を切り開き、「自分はゴジラからは離れられないんです」と語る「ゴジラ応援団」の粕谷さんに、“ひとつのことを好きでい続けることの幸せ”についてお話を伺いました。 川北紘一監督(左)と「ゴジラ応援団」の粕谷さん(右)。撮影所の雰囲気が伝わってくる貴重な1枚 「自分は決して特別なファンではなく、あくまで皆さんと同じようにゴジラを愛する者です」。そう笑顔を浮かべる粕谷さんはゴジラファンの間で一目置かれている存在です。特によく知られているのが1995年12月24日に有明で行われた「ゴジラの告別式」で弔辞を読んだことで、平成ゴジラシリーズの完結編として公開された映画「ゴジラvsデストロイア」の作中散ったゴジラを、ファン代表として悼みました。 ゴジラの告別式で弔辞を読む粕谷さん そんなゴ

                                                              「自分はゴジラから離れられない運命」 ファンを代表してゴジラに弔辞を読んだ男が語る、“好きでい続けること”の幸せ
                                                            • 【青森県・三沢市】青森旅行記〔2〕『職業・寺山修司』@寺山修司記念館 - 旅のRESUME

                                                              ブログへお立ち寄り頂きありがとうございます。 www.bluemoonbell.work 7:50のJALで出発して、9:05に予定通り三沢空港に到着しました。 羽田の保安検査場前の電光掲示板には「悪天候の為引き返す場合があります」と出ていたのでドキドキしちゃいました(;'∀') そして、去年沖縄へ行った時より(その時は成田からですが)も検査場が大混雑で、優先手続きの為、三沢行きに搭乗のお客様は手を挙げたままお待ち下さいと言われました。 観光客が戻ってきているのを実感しました。 三沢空港からレンタカーを借りて最初に向かったのは、空港から近い寺山修司記念館です。 名前と顔は知っているのものの、あとはほぼ何も知らない。 勿論娘と息子は名前も知らず、旦那君の「ちょっと風変わりな人で、好きな人はとことん好き。アングラってやつ」っていうよく分からない情報のみ(笑) ▼受付で貰った館内ガイドの一部分。

                                                                【青森県・三沢市】青森旅行記〔2〕『職業・寺山修司』@寺山修司記念館 - 旅のRESUME
                                                              • 日本の古本屋 / 古本を柳田国男の「偶然記録」として読む――著者の意図や観点からズラす(古本の読み方2)

                                                                前回、古本とは時代がズレている本で、それが価値観のズレに自動変換されるので、そこを突っ込めば楽しく読めるはずと説いた。今回は、観点をズラシて読む読み方をご紹介する。もちろん、新刊書でもこれは使える方法なのだけれど、特に古本について有効なのだ。 ■いま生きている業界/知識分野ならよいけれど 現在、日本人はプラモデルをどこでどうやって買うものなのだろう? トイザらス? まぁ、家電量販店かネットだろう。しかし、昭和後期は百貨店や文房具屋、駄菓子屋で買ったものだった……などと、誰かがすぐ答えてくれればよいが、当事者に聞くという手法は同時代でないとできない。20年ほど前からプラモデルの歴史本も出始めたが、メーカーの歴史や製品の歴史が主であるし、専門誌や業界紙を探しても、なかなか消費者(受容者)の姿は見えてこないものである。そんなときどうすればよいか? ■(読み方)「計画記録」を「偶然記録」として読む

                                                                • ガリ版刷り資料・完全版…下山事件の謎に迫る【番外編】

                                                                  初代国鉄総裁・下山定則(当時47歳)が命を落とした「下山事件」(1949年)の捜査資料とみられるガリ版刷り文書を、足立区立郷土博物館が所蔵している。文書に記された内容は以下の通り。 ※用字・用語は原文のまま記します 他殺、自殺両見地から事件を見た場合の根拠、疑問点について 他殺説の根拠となるべき事項 1、解剖所見中死後轢断の認定並にショック死の認定を可能ならしめる睾丸、陰茎の皮下出血 2、下山総裁の所持品中、ネクタイ眼鏡ライター煙草ケース及びパイプ未発見の事実 シャープペンシル ナイフ ネクタイ止 □□□□□□(※判読不能) 3、国鉄行政整理を繞る組合の動向 4、下山総裁が国鉄労働組合の動行(※動向?)について情報蒐集に異常の関心を有つていた事実 5、自殺の決意或は精神異常に依る自殺を確定的に裏付けるに足る事実のない点 6、死体が現場にバラバラになっておる 自殺説の根拠となるべき事項 1、

                                                                    ガリ版刷り資料・完全版…下山事件の謎に迫る【番外編】
                                                                  • 『★親が子育てする時、一番最初に読む一冊』

                                                                    ■■■■■ 本が紹介されました! ★本のまとめはこちらです! ブクペ 著者まとめ 読者まとめ1(お父様):自ら学習する子どもになる育て方 読者まとめ2(お父様):教える教育から促す教育がやってきた 読者まとめ3(お母様):「勉強しなさい!」とお子さんを叱ってしまう方にオススメの1冊 Are You HAPPY? 1月号に掲載されました! 全国 38都道府県、118の図書館で蔵書されました ※2019年8月2日現在 カーリル [地域の図書館検索サイト] 本が紹介されました! ◆ダ・ヴィンチニュース 読みたい本がここにある 学校では教えてくれない「わが子」に向いている伸ばし方 1人でも多くの子供達が、一つでも多くのご家庭が笑顔になれれば嬉しく思います ■■■■■ 育児本、子育て本、教育本は今では 数え切れないほど世に出版されています 私の著書もその中の一冊ですが その中でも私のお勧めする

                                                                      『★親が子育てする時、一番最初に読む一冊』
                                                                    • 終戦前後の中国古典学者|棋客

                                                                      最近、太平洋戦争真っ只中の時期に、中国古典を研究する学者たちがどのような発言をしているのか、妙に気になってきました。日本と中国が戦争状態に突入する中で、中国古典を研究する学者がどのような態度を取ったのかということは、現代に同じく中国古典の研究を志す私も知っておかなければならないと考えたからです。 中国史・東洋史の学者に関する動きであれば、私でも聞いたことのある話がいくつかあります。例えば、白鳥庫吉は「満鮮地理歴史調査部」を立ち上げて満州や朝鮮に関する歴史・地理に関する研究を進めましたが、これは当時の国策(満州・朝鮮の支配)にコミットする目的がありました。 白鳥庫吉の学問については、吉澤誠一郎氏の「白鳥庫吉と日本における東洋学の形成」という講義がオンラインで公開されていますので、ぜひご覧ください。 また、「満鮮地理歴史調査部」でどのような研究が行われたのか、また参加した研究者が「満州史」「朝

                                                                        終戦前後の中国古典学者|棋客
                                                                      • 76年前からあった「憲法が骨抜きに」の気がかり 「日本人の『意識の覚醒』なければ」と芦部信喜氏:東京新聞 TOKYO Web

                                                                        日本国憲法は3日、施行76年を迎えた。戦後を代表する憲法学者の故芦部信喜(あしべのぶよし)氏は1947年5月の施行前に発表した論考で、戦前のドイツを引き合いに、憲法が将来、骨抜きになることへの危機感を示していた。当時の警鐘は、憲法の平和主義を揺るがす安全保障関連法の制定や敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有、表現の自由に影響を与える放送法の「解釈変更」などが続く現代の政治に重く響き、改憲論議が進む今、遺族は「改めて日が当たれば」と願う。(佐藤裕介) 「新憲法とわれらの覚悟」と題する論考は、1946年11月の憲法公布直後にしたため、自身が発行に関わった冊子「伊那春秋」第4号(47年2月20日)に掲載した。存在は知られながらも、現物が確認されない「幻の原稿」だったが、2年前に見つかり、出身地の地元紙・信濃毎日新聞や本紙が報じ、岩波書店の月刊誌「世界」(2022年5月号)が全文掲載した。 論考「新憲

                                                                          76年前からあった「憲法が骨抜きに」の気がかり 「日本人の『意識の覚醒』なければ」と芦部信喜氏:東京新聞 TOKYO Web
                                                                        • やなせたかしさんの世界が一服の清涼剤だったこと - まんなかで・・・

                                                                          やなせたかしさんといえば、誰もがすぐに「アンパンパン」を 思い浮かべることでしょう。 アンパンパンは有名ですが、やなせたかしさんが創刊から30年間 すべての表紙画を描き、編集もされた『詩とメルヘン』という雑誌を ご存知の方はいらっしゃるでしょうか? メルヘンという言葉に可愛くて子どもっぽいイメージを 抱かれるかもしれませんが、この本は叙情的な散文という感じでした。 1973年の創刊から2003年の休刊にいたるまで 30年間で通算385号まで出版された本です。 学生の頃から大好きだった「詩」とそれに合う絶妙のイラストがつけられた その冊子は私にとっては、まさしく一服の清涼剤ともいえる本でした。 この本はちょっとふしぎな本です。 非常に個人的な偏見と趣味に偏してつくられています。 すべて読みやすくということが主眼で大きな活字で ザックリと組みました。 読者層は十歳から九十歳ぐらいまでを対象にし

                                                                            やなせたかしさんの世界が一服の清涼剤だったこと - まんなかで・・・
                                                                          • ガリ切りの名人と語呂合わせ - 日日平安part2

                                                                            ふと、懐かしきことが思い浮かぶ。あの頃...手軽にプリントを作るとき、謄写版印刷機が欠かせなかった。どういう訳か、我が家にもあった。ロウ引き原紙に鉄筆でガリガリと音をたてて文字を書く。あのガリガリ感覚が蘇る。 そこからガリ版と呼び、その作業をガリ切りと言ったようだ。当時、学校の先生は上手で試験の問題なども手作りだった。その憧れで、自分も使ってみたものの、必ず手がインクまみれになった。 先生は見事な「学級だより」も刷っていた。デジタル以前の手書き文字ってやっぱりいい。文集や創作品も、謄写版印刷で作った。パソコンの文書より、熱き感覚だったのか。 <立派なことが書いてある本はどうせ嘘だから読まない>。百の能書きよりも一つの実証を大事にした。ホンダの創業者、本田宗一郎さんは読書嫌いだったとか。本田語録で“本には過去のことしか書かれていない”とあるそうな。 いいクルマ、いいエンジンであること は百の

                                                                              ガリ切りの名人と語呂合わせ - 日日平安part2
                                                                            • 現代のモーツァルト、カミングアウトの物語 映画「ロケットマン」でエルトン・ジョンの魅力に目覚めよ!|好書好日

                                                                              8月23日からアーティスト、エルトン・ジョンの波乱に富んだ半生を描いた映画「ロケットマン」が公開される。 そう言っても「エルトン・ジョンて誰?」というのが、日本に於ける彼の知名度の現状ではなかろうか? 今、私の手元に 「輝き続けるポピュラー音楽のトップスター」 と、表紙に堂々書かれたバイオグラフィー本「エルトン・ジョン」(偕成社)があるが、この本、何故か世界の作曲家を紹介する子供向けシリーズの一冊だ。彼について詳しく記した本は日本では、これまでこれぐらいしかなかった。音楽系出版社の編集者に「エルトン・ジョンの本は出さないのか?」と尋ねれば、「売れないから会議を通らないんですよ」とため息交じりに言われる。 しかし、言っておくが、ただ今ちょうどCG版が上映中の映画「ライオン・キング」の主題歌「愛を感じて」や「サークル・オブ・ライフ」を作曲し、歌ったのはエルトンだ。今から22年前のちょうど今ごろ

                                                                                現代のモーツァルト、カミングアウトの物語 映画「ロケットマン」でエルトン・ジョンの魅力に目覚めよ!|好書好日
                                                                              • 教育と産業のメタファー - 内田樹の研究室

                                                                                福島みずほさんとオンラインで対談した時、「教育を語る語彙は、その時代の基幹産業で用いられる語彙が流用される」という話をした。農業が基幹産業だった時代には、教育は農業の用語で語られ、工業の時代には工業の用語で語られる。そして、最近になってついに教育が金融の用語で語られるようになった。むろん無意識にやっていることだけれども、教育の制度設計をしている人間たちは、自分たちがどれくらいに限定された語彙と限定された思考を強いられているのか気づくべきだと思う。 その配信を見ていた朴東燮先生から、この論件についてまとめて書いたものを読みたいというリクエストがあったので、いま校正中の想田和弘監督との対談本の当該箇所を抜き出して送った。それをここに採録しておく。 大学に初めて導入されたときから、シラバスは日本の教育に合わないと思いました。欧米の人にとっては有効かも知れません。でも、日本の教育は伝統的な「なんと

                                                                                • GDPデフレータが意味すること | 公益社団法人 日本経済研究センター

                                                                                  前回「私とGDP」と題して、私のGDP統計とのかかわりについて書いた。これを書いた後、さらにGDPについて、いくつかの思い出がよみがえってきた。そこで今回は、前回の続編として、GDPデフレータについて書いてみたい。 金庫は本当に存在した まず、前回の補足から。前回、GDPの内容が発表前にマスコミに漏れるのをいかに防ぐかについて書いた部分で、「噂話だが、GDP統計専用の金庫を準備したという話もあった」と書いた。 すると、これを読んだ大先輩のK氏が私に手紙を寄せてくれた。その手紙によると、この金庫は本当に実在したそうだ。当時(1970年代前半)は、ガリ版印刷(若い人は知らないでしょうが)の時代で、原稿を地下にある印刷会社に渡すと、筆耕屋さん(専用のペン-鉄筆-で蝋引きの特殊な紙を削って字を書く専門家)が印刷用の原紙を作る。これを発表前日に所定部数印刷しておくわけである。 この事前に印刷した資料

                                                                                    GDPデフレータが意味すること | 公益社団法人 日本経済研究センター