2011年12月21日のブックマーク (1件)

  • 綺堂事物 明治芝居風俗 女義太夫 寄席

    明治22年、つまり帝国憲法発布の前年がピークである。現在の5軒にも満たない状況からすると驚くべき数である。むろん、いわゆる下町の区にその軒数が多い。明治30年の調査のベスト5区を挙げると、1.神田区(22軒)、2.芝区(17軒)、3.京橋区(14軒)、4.日橋区(13軒)、5.下谷区と浅草区(いずれも11軒)という具合である。なお、郷区は意外と席亭の数は少なくて、5軒のみである(ただし、もっと多かったとするものもある)。しかし、ほとんど町内にあると言ってもよいくらいの数である。 上は、東京府統計書に基づくものだが、『東京風俗志下の巻』86頁は「明治30年の統計によれば、都下定席の数は一百五十三ありて」としていて、若干数字が異なる。 さてそうなると寄席にはどれくらいの人が実際に足を運んだのであろうか。明治30年9月だけ、しかも夜の部だけ客数を見ると、29万4500人という数字を挙げている

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    skicco 2011/12/21