現在読み下しをしているU家の関係資料に、やたらと「切支丹」に関係する資料が多いことにきずいた。それと共に数家の細やかな系図が存在する。上妻博之先生の「切支丹」関係の史料を見てみると、U家のFなる人物が「転び切支丹」であることが判った。 本人は離國したのか絶家したのか、「転び切支丹」の追跡記録には登場してこない。しかしながら一族は長く、切支丹ではないことを一定の書式を以って藩庁に届け出ることが義務付けられていたようで、残された史料はその様式が記されたものであった。 諸家の系図も類族の届けのために作成されたものであることは、上妻先生の論考の中でも数多くの家の系図が詳細に残されていることからも伺える。下にご紹介する文は様式のひとつとして添付されたものと思われる「切支丹罰文(南蛮誓詞)」である。 (まず日本誓詞が書かれているが、現代においてはいささか不穏当な文言が含まれているので省略する) ていう