今から約6,000~7,000年前は縄文海進期と呼ばれ、 現在よりも温暖な気候で海水面が現在よりも数m高かったことが知られています。 記紀の国生みに登場する「吉備の児島」は当時はもちろん瀬戸内海に浮かぶ一つの島で、 当時の岡山平野は「吉備の児島」に囲まれた「吉備の穴海」と呼ばれる内海でした。 他の瀬戸内の島々と大きく違う点は、 一級河川クラスの川が3本も島に向かって流れ出す地形は瀬戸内海ではここしか無く、 吉備の穴海は瀬戸内海最大の汽水域、つまり内海最大の良質な魚場であったようです。 また、児島(岡山)-坂出(香川)間は海底が隆起し、瀬戸内海の分水嶺でもありました。 そのため海を行きかう人々が難所を避けて安全な内海を通った 交通の要所でもあったようです。 <<下図はクリックすると拡大されます>>