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神経サイバネ序説―脳のはたらきかたの究明 (1966年) (現代ソヴェト条件反射選書) 作者: 田辺振太郎,桝本セツ出版社/メーカー: 世界書院発売日: 1966メディア: ?この商品を含むブログ (1件) を見る引き続き医大の図書館から。 セル・オートマトンがチューリング完全であるということはウィキペディアにも書かれているとおりだが、一見、直感に反するように思える。しかし、チューリング機械における記憶装置(テープ)を、「任意のセルは、左右2つのセルに隣接していて、なおかつ左右2つのセルからしか影響を受けない、一次元のライフゲームである」と考えれば、一次元のセル・オートマトンはチューリング等価である、と分かる....と思う(私はそのように理解した)。一次元のセル・オートマトンがチューリング完全であれば、二次元のセル・オートマトン(たとえば、方眼紙のマス目がならんでいるようなもの)も、当然チ
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コメント: 中古商品につき多少の傷み、ヨゴレ等はございますが、特に目立ったキズなどもなく、読む分には問題ありません。
吉田民人(社会情報学基礎理論・理論社会学専攻/元日本社会学会会長) 皆さん,今日は。 この4月に大学院修士課程(前期課程)や博士課程(後期課程)に進学された方々,おめでとうございます。 大学教育も大学院教育も,大学の個性と個々の教員の個性という2つの柱で支えられています。ですが,とりわけ専門分化の進んだ大学院教育では,大学の個性以上に,個々の教員の個性が重要な役割を果たしています。けれども,自分の専門分化した専攻領域の研究者が自分の大学院にワン・セット揃っている──それは先生方をもの扱いした,いささか失礼な表現ですが──などということは希有のことでしょう。こうした現状を何とか突破したいというのが,今回の単位互換制度です。 ところで,かつて桑原武夫というフランス文学専攻のすぐれた文学者・思想家が,日本人は○○大学の○○と自己紹介して,○○専攻の○○といわない,と嘆いておられましたが,いまでも
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吉田民人先生の想い出 自分が親から受けたものを子に伝えたい、というのはナィーブな親心である。大学教員としても、自分が学生時代・院生時代に、研究者の卵の時代に、師から受けた教えを、諸先生や先輩、友人から学んだものを、学生・院生たちに返したい、とナィーブに願ってきた。 * 「海へ帰りたい」 正村俊之先生と私にとって共通の恩師である吉田民人先生が、昨年10月27日に逝去された。享年78歳。学問上・研究上の「父」のような存在だったから、ひどく落胆している。しかも「ひっそりと消えたい」として、5人の近親者による密葬が行われたのみで、葬儀や告別式は行われず、しかも「追悼集会に類するものは一切不要」と強く固辞され、お別れの場も設けられなかった。「科学者として生命の根源である海へ帰りたい」という言葉と、遺骨のちょうど半分は両親の眠る京都の寺に、もう半分は、茅ヶ崎沖に散骨するようにという遺言を遺された。吉田
下記は、2010年3月22日に開催した「吉田民人先生を語る会」の折に、参加者に配布した『吉田民人先生の想い出』に寄稿したものです。あわせて 吉田民人先生を偲んで 師を見つける旅 も参照ください。 * 「君たちは何て余計なことをしてくれたのか」。先生は怒っておられるのだろうか。「お前は、私の死を俗世間に売り渡そうとするユダなのか」という激しい叱責を受けるのだろうか。 「追悼集会に類したことは一切不要というよりは拒絶。理由は複雑だが、ここには書かない。」『吉田民人先生の想い出』というのが、先生の遺言の、下から二番目の項目である。文字どおりに解釈すれば、この集まりは開くことができない。されど先生とお別れをしたい、きちんとお別れを申し上げたいという、宙づりにされたままの、ほとんど動物的な生の感情が色濃くある。 では、遺言の精神に背くことなく、どんな集まりが可能なのか。 * この集いの呼びかけ人を代
<<<目次>>> はじめに・・・・・ 1 執筆者一覧(敬称略)・・・・・ 3 目次・・・・・ 5 第1章 スキル研究への潮流・・・・・ 9 1. 1 経験・熟達の価値と研究の背景・・・・・ 10 1. 2 スキルの意味と問題の特徴・・・・・ 11 1. 3 スキルの学際的研究の必要性とその視点・・・・・ 13 第2章 スキルの分析と解剖・・・・・ 15 2. 1 スキルを考える・・・・・ 16 2. 2 スキルの計測と評価・・・・・ 19 2. 3 スポーツにおけるスキルの観測と評価・・・・・ 25 2. 4 熟練加工作業におけるスキルの分析・・・・・ 33 2. 5 その他の専門領域におけるスキル・・・・・ 38 2. 6 スキルの標準と体系化・・・・・ 44 第3章 スキルの構成とそのモデル・・・・・ 51 3. 1人間におけるスキルの構成・・・・・ 52 3. 2 機械によるスキルの
市野川容孝さんの『社会学』(岩波書店)の冒頭に、彼の師匠である吉田民人先生への熱烈なオマージュが記されている。市野川さんは吉田先生の学問領域を超えていく大きさを称賛していて、それはその通りで私も文句はないのだが、なぜそうだったかについては、ちょっと異論がある。それは再三述べている福武・日高の「正義の帝国」に関わっていると思うのだ。 私は吉田先生が嫌いだった(舩橋先生といい、好き嫌い多過ぎ!)。学部3年生の「社会学原論」(東大だけのヘンな講義)で、私は彼の話のどこが面白いのかさっぱり分からず、居眠りしていた。授業中学生に手を挙げさせるのが好きな吉田先生は、寝ていて手を挙げなかった私をにらんで、「僕の話が分からなかったのかな」と言われた。「つまらなくて寝ていました」とも言いにくい。また卒業式の謝恩会で、私が「僕は人の役に立つとうれしいので、そういう人生を歩みたい」と言ったら、吉田先生は怖い顔で
戦後日本の理論社会学シーンを、文字通りリードしてきた一人である吉田民人氏が、まとまった著作をこれまで公刊していなかったのは意外である。そんな吉田氏の論集が、一九九〇年から翌年にかけて、相次いで出版された。これで、吉田氏の主要な論文ほぼすべてを誰もが容易に読めることになり、学界の財産となったことを大いに喜びたい。吉田民人氏が学界内でどれほど大きな地位を占めているかについて、いまさら私がのべるまでもない。ここではまず、今回まとまったかたちで読めるようになった氏の著作これを便宜上、三部作とよぶことにする-をひととおり概観しよう。そのうえで、その論理構成に即して、主だった論点について私の見解をのべることにしたい。これは、吉田氏の全業績 (しばしば「吉田理論」とよばれている) を評価するという作業に似てくるかもしれないが、そうした評価は後世の人びとにゆだねるべきことだ。私はただ、同時代の研究者として
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