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分析に関するnisemono_sanのブックマーク (17)

  • 先駆者集団の多数派 : 404 Blog Not Found

    2006年02月25日16:01 カテゴリBlogospherePsychoengineering 先駆者集団の多数派 私自身、記事を書きながら「おれ、勘違いしているかなあ」と思ったのだけど、実はそれ以外に言語化がまだなされていない部分が発露したのだともとれるのでそのままにしておいた。 『そういう人のことは"Early Majority"または「先行多数派」という』の間違いですよね? 浅倉卓司のログ/ウェブリブログ なのであれば、「考えもなしに多数派に従ってしまうのは、いわゆる尻馬鹿君になることであって、それは気持ち悪いし、なにより卑怯なことだ、と感じてしまう」人は「先駆者」ではなくて「先行多数派」じゃないのかな。 実は、その「先駆者」もまた、フラクタル的に階層が分かれるように思える。 以下はいずれも「先駆者」集団のメンバー。 まず、その中の「先駆者」。当に「まわりのことはさておき」な人

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  • 多数派図画工作 : 404 Blog Not Found

    2006年02月23日23:31 カテゴリPsychoengineering 多数派図画工作 こちらが多数派にならなくとも、多数派の方がこちらに押し寄せてくることもある。 他人の脳内 - 多数派になろうとすることは卑怯 という感覚が、どうも僕にはあるようなのだ。自分では特に価値判断の基準を持ち合わせていないことについて、考えもなしに多数派に従ってしまうのは、いわゆる尻馬鹿君になることであって、それは気持ち悪いし、なにより卑怯なことだ、と感じてしまう(必ずしもそうとは限らないのにね)。だから、流行と見ると、とりあえず反射的に逆らってしまう。何ということか。そういう人のことを、人は「先駆者」とか「アルファ・ギーク」と呼ぶようだ。 右のようなグラフをご覧になったことがあるだろうか。これは時間の経過とともにどんな人たちがインターネットを利用するかを解説したものだが、これは「トレンド」一般に関して成

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  • 動物発電所(NKN別館) - 批判と愚痴

    独り言的内容。(嫌な人は読まないで!) 批判とは他者に向けた言葉である。 愚痴とは自己(あるいは内面の他者)に向けた言葉である。 批判は他者に向けた言葉であるがゆえに、他者とのコミュニケーションの成立によって初めて意味を形成する。相手が自分の放った批判に対して再批判を試みれば、さらに自分から再々批判を試みることができるようになる。これが一般的意味での「議論」である。 愚痴は自己に向けた言葉であるがゆえに、他人とのコミュニケーションの成立を必要としない。愚痴は愚痴として、ただただ内面の他者に対して投げかけられるものである。ただし、自分の愚痴は同様の愚痴(を言う動機になるような不満)を持つ他者に届いた場合、他者による自分に対する「共感」が発生し、コミュニケーションが成立する場合がある。(参考:ARTIFACT ―人工事実― : 欲しいのは「陰口で繋がる自由」) インターネット上の人間同士のコミ

    動物発電所(NKN別館) - 批判と愚痴
  • 何かの間違い

  • H-Yamaguchi.net: マクルーハンってよくわからない

    何の因果か、メディア論なるものをほんの少しかじるはめになった。で、「まあ読め」となるのがマクルーハンの「メディア論」らしい。もちろん深く読み込んでらっしゃる方々とはちがい、あくまで浅くなでる程度でしかないわけだが、なでる前に最初でいきなりけっつまづいてしまった。よくわからない。 以下はただ「わからない」と愚痴をこぼしつつ助けを求めているだけなので、そういうのが嫌いな向きにはお勧めしない。恥をしのんでさらすので、「ばーか」とかいうのもどうかご勘弁を。 いやもちろんわかるところもあるんだよ。あるんだが、マクルーハンのメディア論というとたいてい真っ先に出てくる例の「ホット」だの「クール」だのというあれだ。まずあれでけっつまづいちゃったのだ。 「ホット vs. クール」の話は、私には「○○は××」みたいな分類ゲームのようにみえてしまう。それふうに並べるとこんな感じ。 ・テレビはクール ・映画はホッ

    H-Yamaguchi.net: マクルーハンってよくわからない
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/11
    確かに、マンガと写真の「ホット」「クール」が良くわからないなあ。マクルーハンは元々文学理論 畑の人だということを聞いたことがあるので、メディア論ではなく、読者反応論としてみると解けるかもしれない。
  • Endless world ―咬竜の庭―:『偏見』と『ネギま!』と

    このページは、僕の好きなゲーム漫画テレビ、そして日常の出来事などのことをつれづれなるままに書いていくブログです。 まず、こちらを読んでください。 何故「ネギま!」が大成しないのか? 一回読んだ時には、偏見丸出しの単なる「叩き」にしか感じられなかったのですが、落ち着いてもう一度読んでみると、実は結構『ネギま!』を語る上では無視できない文章かな、とも思えてきました。 というのも、この文章、「『ネギま!』のレビュー」としては最低ランクの代物だと思いますが、「『ネギま!』をよく知らない人間にとって、この作品がどう映っているのか」を測る資料としては、かなり意味のある文章だと思うんですよね。 このレビューが『ネギま!』に対して否定的な理由としては、著者が『ネギま!』を「とにかく女の子を出しまくって萌えを狙ってる、安っぽく技巧的で時代遅れな漫画」と捉えているからだと思われます。 無論、僕としては、そ

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/10
    偉いなあ。俺もこういうのは見習わないと。
  • まさに「ブロガーの病」とでも言うべき - 砂上のバラック

    FPN-ゲームをつまらなくしたのは僕たちゲーマー自身かもしれない 見事すぎるほどに悪質な記事。「かもしれない」という曖昧な語尾で断定を避けつつ巧みに「ゲーマー」(「ヘビーゲーマー」)にネガティブイメージを与え、しかも「僕たち」と当事者を装い自省のそぶりを見せることでへつらういやらしい態度(多用される「ですよね」という語尾の気持ち悪いことよ)。これぞ大衆に迎合するブロガー様のあるべき姿ですよと感心すらしてしまう。 この記事はほとんどが明確な裏付けのないユルい「気分」に支配された印象論で展開されているから指摘するのもキリがないが、一例を挙げるならこんな文章がある。 特に嫁さんをゲーム好きに洗脳しようと思ってゲームを探したときに改めて感じたのは、二人以上でプレイできるゲームの少なさ。 プレステのゲームって対戦以外はほとんど一人用のゲームなんですよね。 昔のファミコンってもう少しみんなでワイワイや

    まさに「ブロガーの病」とでも言うべき - 砂上のバラック
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/08
    そういえば、ソニック2はこの意味では徹底した二人参加ゲームだったが、それがインタラクティヴということではなく、観戦している人が「それ違うよ」というのも立派なインタラクティヴということ。
  • 2006-02-07

    TYPE-MOON作品には「Fate」から入ったにわかなので、原点であるところの「月姫」がプレイしたいのですが、中古でとんでもない額がついているので諦めています。知り合いでこの方面に詳しい人間もいませんし、リメイク出してくれないものでしょうか…。 ・「受動世代のロンコーゲーム(論考ゲーム)」(シロクマの屑籠) 非モテのテキストで語られていないと言及された部分について書いてみましょうか。 自分がいかに異性を評価するのか(好みの異性含む) 自分の趣味の方向性を理解し、楽しんでくれるという異性は評価に値する。「キモい」を連呼する手合いは評価以前の問題。私という人間に対して興味を抱いてくれる女性を拒絶はしない。 自分が恋に落ちるのはどういう時か 高校時代までのそれに関しては、後に冷静になって考えると何故自分がこの女性に惹かれていたのを全く説明できない類のものだった。大学に入ってからは、私が仲のいい

    2006-02-07
  • あんよの物置

    ここはあんよが書いた考察、SS(二次創作)、そのほか雑文の物置です。   ページ内ショートカット: シスプリ・べびプリ・ネギま・ハルヒ・アイマス・ONE・ガルパン・その他

  • http://www.wako.ac.jp/hattatsu/soturonopen2003/00d104takahasi.pdf

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/06
    自己への配慮が自己を破壊するという逆説。
  • フェア認定商品 - spongey

    友だちに『エビと日人』を貸してもらい、さっそく読んでみました。エビ輸入業のよる環境破壊、現地生産システムへの影響と搾取体系や男女の賃金格差など、自由貿易による弊害の縮図を見るようでした。バナナはもっとひどいと書いてありましたが、もっとひどいというのが想像できないくらいエビも酷かったです。あのは80年代に出たらしいのですが、それから約20年経っているのに、現状が殆ど変わっていない、それどころか、エビ生産場所の移転あるいは拡大という形で広がっているかのようで、驚きました。それに、やはり入ってるのですね給に。 エビだけでなく、マグロも、コーヒーも木材も、、、なんであれ、誰が誰から買い付けているかということが不透明なのは恐ろしいことです。そこで問題なのは、傘がないことではなくて、どうやって現行のシステムを問題化することができて、どうやって「改善」することができるのか、その「改善」に向けてわた

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……

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  • Untitled Document

    文学における双子 その広大なイメジャリー 0. はじめに ドイツは18世紀において、プレ・ロマン主義として勃興した文芸思潮「シュトルム・ウント・ドランク期」を代表するクリンガーの作品に、王家に生まれた双子の兄弟争いを扱った『双子』(1776年)がある。そして、この悲劇に対する従来の解釈に対する不満が、そもそも「文学における双子」のテーマをここ10年間研究課題として取り上げてきた直接の動機である。すなわち、『双子』に対する従来の研究は、時代精神と絡めた登場人物の憂的気分や主人公グエルフォの強力な個性、あるいは近代的な疎外を問題としてきた。しかし、この作品をより深く理解するためには、登場場面が少なく一見影響力が微弱に思えるその兄フェルディナンドとの双子としての関係を抜きにしては語れない。封建制における家督権や名誉を巡っての双子の兄弟関係を解釈の中心に置くべきなのである。 これを契機に「やはり

  • 断片的日乗:正義をこえて、人間の中の神を人為的に作り出す政治?

  • ASTATINE :: 物語性とキャラクタービジネス。

    "And I look again towards the sky as the raindrops mix with the tears I cry." 角川書店で「Fate/stay night(2004,Type-Moon)」のPS2移植が決まったという話。 レビューに書いていますが、私は当初からこの作品は、ヲタ文化層が大衆文化表層に進出するための“旗”の一つと捉えていましたので、驚いたというより「やっと情報を表に出したか」という感想を抱いています。 同人期の「月姫」と比較すれば、明らかに物語描写の陰惨さは薄れているばかりか、下手すれば、“Fate”と“Unlimited blade works”は、そのままテキストを抜き出しても、ライトノベルとして扱えそうな代物。むしろ、アニメ化より先にコンシューマー化すると思っていたので、PS2移植が(発売が2006年末ということで)アニメ終了後

  • 3ToheiLog: 生産と消費のすれちがい

    生産と消費のすれちがい 昨年末に書いた「モノ作りはシグルイなり」に、ご意見頂きました。 「高度成長期的な日=閉鎖的工場」という単純図式が、今後の日としても当に取るべき方針なのかという点について、お二人とも疑問を呈されているというのが、最も主要なポイントだと思います。(間違っていたらすみません) 実は、私もこの点についてはあまり楽観視はしていません。いつまでも「世界の工場」なんて言ってられるような甘いもんじゃないだろうと。(「モノ作り」が多国間の経済的な側面からどの程度の効果と限界を持つかについての私の意見は、後述したいと思います) その前に、まずは「日 v.s. 外国」という外政面ではなくて、 国民が生産に携わることの内政的な効果について、私の意見をちょっと書かせていただきたいと思います。 実は私は、それこそが生産行為の質ではないかと思っているので。 *--------

  • ワルイヒト - 美少女ゲームにおける語りの問題について :: 特権的な他者としての〈あなた〉

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

    ワルイヒト - 美少女ゲームにおける語りの問題について :: 特権的な他者としての〈あなた〉
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