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福山市は9日、福山城南側にある国重要文化財の伏見櫓(やぐら)と筋鉄(すじがね)御門について、国宝指定を目指し調査を始めると発表した。伏見城(京都市)から江戸期に移築されたとされ、福山空襲...
明治初期の広島城本丸(現広島市中区)の外観を北東方向から撮影し、旧陸軍の拠点化に伴って壊された裏御門上部の櫓(やぐら)や隅櫓が確認できる貴重な写真が見つかった。広島城の学芸員は「被爆以前...
城が歴史の表舞台に登場するのは南北朝鮮時代のことである。城主と伝わる宮下野守兼信入道道仙は、この城に拠り、足利尊氏・義詮方として華々しい活躍をした。 なかでも貞治元(一三六二)年から翌年に...
国宝・松江城天守(松江市)にあった展示物の搬出が終わり、これまで展示ケースに遮られて存在が隠れていた「狭間(さま)」や「石落とし」など天守の特徴的な構造物がよく見えるようになった。市は6...
島根県浜田市の浜田城跡から、江戸時代に築かれたとみられる石垣や土塀の痕跡などが見つかり、市教委文化振興課が14日、発表した。同課は「未解明の部分が多い浜田城の往時の姿が一部明らかになった...
虎伏山の西峰に連立式天守が建ち、東峰に本丸御殿があった。山上の御殿は不便で手狭なため、江戸初期以降、藩政と生活の拠点は麓の二の丸に移る。西の丸は藩主が自然風雅を楽しむ場であり、内堀を池に...
50年後に残そう!!未来の私へ「50年後へのメッセージ」を募集。三原城築城500年に向けたメッセージを募集します。 皆さんが記入したメッセージカードで、50年後にモザイクアートを作成します。
岡山城二の丸跡(岡山市北区内山下)の発掘調査で今春出土した堀跡が、同城の最古の絵図に描かれているも...
行事に関するご質問などは「お問い合わせフォーム」より、お問い合わせください。 【県立ふくやま草戸千軒ミュージアム】 https://bingo-history.net/archives/17917https://bingo-history.net/uploads...
戦国時代のキリシタン大名、高山右近(1552~1615年)が城主だった高槻城(高槻市城内町)の二の丸跡内堀から、右近が城主だった時代に拡張したとみられる堅牢なつくりの大堀や、これまで記録...
富山城外堀から出土した県内最古の木製売薬行商鑑札=富山市安養坊の市考古資料館で2017年4月、青山郁子撮影 富山市教委埋蔵文化財センター(富山市愛宕町4)は、2014年度に旧総曲輪小跡地(...
2017年04月19日 11:18 更新 盛岡南部家の貴重な資料をもとに、当時の盛岡藩の行政を知ることができる企画展が19日、はじまりました。この企画展は、盛岡南部家5代当主・行信(ゆきのぶ)から10代...
豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で日本側の武将が朝鮮半島南岸に築いた城に多く用いたとされ、港湾防御などを狙いとした「登り石垣」が、鳥取県米子市の国史跡・米子城跡で出土し、18日、同市...
原爆で倒壊し、木材のほぼすべてが失われた、広島城のものと見られる装飾用の木の板が、広島市内の住宅に残されていたことがわかり、城の本来の姿を伝える貴重な資料として注目されています。 寄贈を受...
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