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も_目録学に関するbitheibooのブックマーク (2)

  • 内藤湖南 支那目録學

    目録學は支那には古くからあるが、日には今もつて無い。これは目録といつても、單に書物の帳面づけをするといふやうな簡單なことではない。支那の目録學にはもつと深い意味がある。これを知らないと、書物の分類も解題もできない。のみならず、今日實際に當つて、色々のものを見るのに困る場合が多い。日の目録には、意味のないことが多い。かの佐村氏の「國書解題」などでも、箇々の書の特質を標出し得ずして、何れの書にも同樣の解題をしてあるやうな處があつて、解題の意味をなさぬものがあるが如きである。 ともかく、現存の支那の目録では、漢書の藝文志が最も古いものである。漢書は班固の生前には出來上らないで、その妹の曹大家が完成したものといふが、藝文志は班固自身の手に成つたものであらう。後漢の中葉、西洋紀元一世紀の終り頃に出來たものである。 大體、漢書藝文志は、班固が自分で書いた處は、最初の敍文ぐらゐの僅かばかりで、その全

    bitheiboo
    bitheiboo 2012/05/12
    内藤湖南『支那目録学』。院生時代の講義テキストだった。もう一度復習してみたい。
  • 「学術の史」としての目録学

    目録学は、劉向・劉歆から始まる長い伝統を持つ学問ですが、二千年にわたるその歴史の中で、多くの学者の力によってさまざまな新しい顔が明らかにされてきました。 その歴史の中で、余嘉錫は、目録学の何を明らかにしたのでしょうか。目録学に対する余嘉錫の最大の貢献は、目録が「学術の史」であると位置づけた点にあるように、私には思われます。 中国には、長い学の伝統があり、その成果としての書物が伝えられてきました。前漢時代の末期、それらの膨大な書物を前にして、劉向たちはそれらの書物からさかのぼって古代の学の姿を明らかにし、さらにその上で、学の伝承がどのように書物の上に反映されているのか、そこまでを論じて目録を書いた。それは、目録の序文として完成された。これぞ「学術の史」と評価しうる、余嘉錫はそのように考えます。 してみると、目録は単なる帳面ではありません。そして目録学は、単なる帳簿の学ではありません。 知凡目

    「学術の史」としての目録学
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