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よ_雍正帝に関するbitheibooのブックマーク (8)

  • アキナとサスヘ;追記2

    と言うワケで、《愛新覚羅宗譜》や王佩環《一個登上龍廷的民族──滿族社會與宮廷》遼寧民族出版社 と言った史料に目を通してみたので、再度追記という形でアキナとサスヘネタをもう一度…。 まず、《一個登上龍廷的民族──滿族社會與宮廷》で引用されていた、《黑圖檔》の該当箇所を見てみましょう。 “……neneme akina gebu halarade geren wang ambasa genefi ududu mudan sorgire jakade teni gebu araha……”i 漢訳:“……先前阿其那改名字时,因诸王大臣前去数次催促,才改了名”。ii やはり前段の引用はこのからのようですね。一字一句差が無かったです。まぁ、どうもこののマンジュ語標記にはちょっと疑問が残るので何とも言えんのですが…。 hoso i unenggi cin wang tomohonggo cin wan

    アキナとサスヘ;追記2
    bitheiboo
    bitheiboo 2015/01/13
    これも参考になります。それにしても雍正帝は性格が……^_^;
  • 九王奪嫡のマンジュ封号

    さて、辮髪乙女ゲードラマこと《歩歩驚心(邦題:宮廷女官・若曦(ジャクギ))》の再放送をツラツラ見てました。何のかんのやっぱ面白いですよねぇ。自分は主人公の若曦にはあんまり感情移入出来ないんですが、まぁ、乙女ゲードラマなので、この人は阿哥たちを描くための狂言廻しですしねぇ。てか、マンジュなので来ルォシィとでも呼ぶべきでしょうけど、この時代だとどうですかねぇ…。元々漢字を想定した名前は漢字のママで良いのかなとも思います。ともあれ、このドラマは史料読んだだけではさして魅力的とも思えない多羅敦郡王・胤䄉はじめ他の阿哥たちを魅力的に描いてますよね…。確かに十阿哥は愚かかも知れないけど、案外気持ちの良い奴だったのかも知れないなどとはこのドラマ見るまで思いもしませんでしたというか、さして印象強かったわけでもないですしw と言うワケで、今回は九王+α達の名前のマンジュ語読みとマンジュ語の封号を調べて見ま

    九王奪嫡のマンジュ封号
    bitheiboo
    bitheiboo 2014/11/24
    雍正帝による康煕帝遺詔改竄説については確かに「マンジュ文にしろ漢文にしろ、線一本足しただけでどうにかなるモンじゃないだろ」ですよねえ。マンジュ文の封号はいろいろ面白い。
  • アキナとサスヘ;追記1

    と言うワケで、前回ネタにしたアキナとサスヘですが、ネットを検索し続けてたら、わりと色々あったのでお蔵出しをば。 雍正上台后把「八阿哥、九阿哥」改名为「阿其那、塞斯黑」,这两个名字是什么意思? これは、どうやら中国版の知恵袋とか小町みたいなページですかね。マンジュ熱が凄く熱い人の回答が常軌を逸していて勉強になります。内容については多分下に挙げてる様な論文がソースと言うコトになるかと思います。独自に辞書や上奏文などから画像も貼り付けていますし、読み応え有りますね。 で、まずは犬と豚のマンジュ語の語彙に関してはこの論文が元になっているようです。もっとも、この論文の通りには上げていませんけど…。 沈原〈“阿其那”、“塞思黑”考释〉《清史研究》1997, 0(1): 90-96 �各種犬のマンジュ語一覧 indahūn 狗⇒犬 ajirhan 牙狗⇒雄犬 enihen 母狗⇒雌犬 taiha 长毛细

    アキナとサスヘ;追記1
    bitheiboo
    bitheiboo 2014/11/24
    「アキナ」・「サスへ」についての史料・研究史まとめその2。参考になります。
  • アキナとサスヘ

    さて、いよいよ《歩歩驚心》の再放送もクライマックスで、八阿哥の命運も風前の灯火です。で、このあたりで出て来るアキナ、サスヘという八阿哥と九阿哥の別名ですが、宮崎市定の『雍正帝 中国の独裁君主』中公文庫ではこうなっています。 ──あいつはもう皇族ではない。一介の平民だ。皇族と間違えられそうな名前を持っていては他の兄弟が迷惑する。なんと名前をつけかえたらいいか、人に聞いてまいれ。 使者がこの旨を取りつぐと、八阿哥は平気な顔をして、ただ一言答えた。 ──犬。 ──よし犬になれ。 雍正帝は即座に八阿哥を犬にしてしまった。満洲語で犬のことをアキナという。これから朝廷では八阿哥の名をよんではならなくなって、いつもアキナと称した。i 雍正帝の命によって宮内省は九阿哥から皇族の身分を剥奪することを決めた。皇族ではなくなると改名せねばならぬ。どんな名前がつけられたいかと聞きにやったが、九阿哥の原案が雍正帝

    アキナとサスヘ
    bitheiboo
    bitheiboo 2014/11/24
    「アキナ」と「サスへ」についての史料・研究史まとめ。とりあえず「犬」と「豚」という意味ではないということ。しっかしまあ、なんというか雍正帝も性格悪い(^_^;)
  • 康煕帝の諸皇子

    と言うワケで、毎日BSで放送されている《歩歩驚心(邦題:宮廷女官 若曦(ジャクギ))》をツラツラ見てます。軽くストーリーに触れると、現代の北京で彼氏に二股かけられた歴女・張暁が何故か清代・康煕朝の八阿哥・胤禩の側福晋・若蘭の妹としてタイムスリップ!八王府で生活する傍ら、康煕帝の皇子達に言い寄られちゃって困ってるウチに、選秀女に紛れて康煕帝のお茶汲み宮女となって康煕帝にも気に入られちゃってどうしよう!という、まぁ、一言で言うと辮髪乙女ゲードラマですね。セットも衣装も貧弱だなぁ…等と、結構馬鹿にしながら見てたんですが、続けて見てみると結構面白いので続きが楽しみなドラマ№1になってますね…。細かいところを上げていくとキリが無いわけですが、歴史との関わりは信長のシェフみたいなモンなので、それくらいにお気楽に構えて見るのが礼儀という感じはしますがw で、このドラマは宮廷の辮髪プリンス達に言い寄られる

    康煕帝の諸皇子
  • ヌーそく(復元工事中)

    のカテゴリー

    ヌーそく(復元工事中)
    bitheiboo
    bitheiboo 2010/10/06
    宮崎市定『雍正帝』が骨子。よく出来ている。
  • 雍正のチベット分割 - Wikipedia

    伝統的なチベット地域と現在の地方行政境界分割を比較 雍正のチベット分割(ようせいのチベットぶんかつ)[1]は、清朝の雍正帝が1723年 - 1724年に青海地方に出兵し、グシ・ハン一族を征服した際の事後措置。 この措置により、チベットはタンラ山脈よりディチュ河にかけての線により二分され、その西南部はガンデンポタンに委ねられ、その東北部のモンゴル王公、チベット人諸侯らは青海地方と甘粛省、四川省、雲南省などの諸省に分属させられることとなった。中華人民共和国の、チベット民族の自治区を西蔵部分のみに限定し、その他のチベット各地を青海省と甘粛・四川・雲南などの「内地(中国土)」諸省に分割して組み込む行政区画は、この分割の際の境界を踏襲したものである[2]。 雍正帝の青海出兵の背景[編集] オイラト系モンゴル人のグシ・ハンは、1637年 - 1642年にかけて、チベットのほぼ全土を征服、いくつかの大

    雍正のチベット分割 - Wikipedia
  • 『鹿洲公案 清朝地方裁判官の記録』著:藍鼎元/訳:宮崎市定 中国版遠山の金さんの名裁き | Drupal.cre.jp

    『鹿洲公案』とは、副題にあるように、清朝の役人であった藍鼎元(らん ていげん)が広東州潮陽県の知事になった時の裁判記録(公案)である。 地方裁判官とあるが、実態は、江戸の町奉行、大阪奉行などと同じように、警察、検事、裁判、税務など、もろもろの任務が込みである。 さて、藍鼎元が広東州潮陽県の知事となった18世紀初めは、清朝5代の雍正帝の時代である。 清朝5代といっても、清朝の初代となるヌルハチ、2代目となるホンタイジは、いずれも満州にある後金の地方政権である。3代の順治帝になってようやく中原を支配するようになり、4代康煕帝が清国の形を整え、その後を継いだのが5代、雍正帝だ。まだまだ、国家としては若く、力強い時代である。 天下太平。しかし中国は広い。広東州潮陽県は鼎元が赴任する前に天災や飢饉にみまわれていた。生活が苦しくなった民が増えれば治安も悪化する。租税の徴収など公務がおろそかになれば

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